10. 修  行

  以下「如来光明礼拝儀」を中心にいくつかを抜き出して紹介します。


  如来は絶対的に尊く在まして何の処にも在まさざることなき
 霊体なれば,唯無上の尊敬心を以てアナタ
 今現に真正面に在ますものと信じて霊名(みな)を呼び奉れば
 大ミオヤの大慈悲の霊胸(みむね)に響きて慈悲のまなじりを注ぎて
 我を見そなはし給ふと思いたまへ。
 また大悲のミオヤをお慕い申して一心に念じ奉るべきものであります。


 仏法に門多しと雖も要中の要なるものは念仏三昧門なり。
 念仏三昧門にまた方面多なりと雖も,
 口に聖名(みな)を称えて意(こころ)に慈悲の聖容(みかほ)を憶(おも)
 い愛慕して止まざる時は面(まの)あたり慈悲のみすがたは想念の中におがむことを
 得べし。
 行住坐臥一切の作務に拘わらず憶念常にかかって忘れざる時は
 必ず業事成弁すべし。

 
 入道場の心得


    生死事大無上迅速を忘るるなかれ
    生の従来する所,死の趣向する所は何れ
    何を以てか一大事とする
    我とはどんなものをかさす,我所もまた然り。此躯これなにものぞと自ら窮めよ
    此身及びこの世すべて夢の如くなるをよく細かに思いみるべし。
    此ままの境涯幻の如くなること 真実にあらざることをしるべし。

    三業を調熟すべし,み,くち,こころ。
    口に称えて仏を捨てざれ。
    意に見仏の想を離さざれ。
    常に仏の照鑑をかしこめ。

    首座,先ず大衆を勧めて三宝に帰せしめよ。
    首座たるものは大衆の模範となるものなれば最も仏祖の照鑑をかえりみ,
    内仏意にかなうようふ,外儀如法たるべし,
    内常に仏を離れず,外威儀厳。


    念仏三昧

  口に称名を唱えこころを専注して弥陀を念じ,漸々に余の雑念を薄らぐ。
 念ずる所の弥陀に神(こころ)を投じ弥陀が我か,我が弥陀かと離れね精神状態
 に入って完き調和の成りし所を即ち三昧という。・・・
  第一に入神を大切にすべし。
 入神とは自己の識神(こころ)を弥陀の霊中に投ずるなり。
 真に自我を如来の霊中に入るる時は余念全く亡じて恰も蝉の脱け殻のごとく,
 而して識神は弥陀の霊中に清き声を揚げるなり。・・・
  思惟とは其佛の相好等を想像に浮かべる辺を云い,正受とは自己の霊性が発達して
 三昧も成熟せき故法眼が開けて直覚的に霊像(みすがた)が顕現する了々たる辺を云うものにして
 之凡夫の想像の及ばざる所なり。・・・
  念仏三昧の思惟を階級として正受に入る。・・・弥陀に入神の着眼点・・・正鵠をえらびて
 心々連続して神(こころ)をその中に入るるなり。
 道(ややも)すれば雑念妄念群がり出でて正境を乱さんとす。意思を凝して正鵠に向かわしむ。
 ・・・要は一心統一して弥陀の霊中に神を入るるなり。・・・
  心々相続するに勇猛精進に身を責め己をくだきて霊性を発揮す。・・・
 一心に念仏する窓には弥陀の霊光射し来る。春風おもむろに吹きて和気あいあいと流るる
 三昧の兆候霊性に現ず。・・・この時歓喜天地に充つ。・・・
  如来に乗り得たる心は無我なり。・・・
 心身共に軽安を覚えて即ち我が有(もの)を感ぜず。・・・
 心が漸々微に入り妙が加わりいよいよ心霊の日光が顕れ来たる。
 如来が我となりしや我が如来とないりしや。・・・三昧入神の妙味ここに在り。・・・
 ・・・この心霊の花開く時,弥陀の霊応正しく我霊性と合体す。・・・
 漸々純熟するに随ってついには注意を要せずとも自ら三昧を成ずるなり・・・。
 念仏三昧を以て業事成弁する時はこの土にありながら,既に弥陀の種子をその人の心霊に
 成熟するを以て・・・その中心より起こる三業の所作は悉く仏心仏行となるなり。
   「念仏者の心本尊は六十万十万億の奥行きの堂」

 
  食作法(食前)
  大ミオヤよ。
  我等は日々の糧を受けざれば活ること能はざると共に。
  アナタの恩寵の霊の糧によらざれば。
  法身慧命は紹ぐこと能はざるものなり。
  されば此の食を為すさんとするに先だちて。
  智慧と慈悲との聖き名を念じて。
  霊のいや増すさんことを祈り奉る。
  
  食作法
(食後)
  大ミオヤよ。
  アナタに与えられし霊の糧をば。
  我が信念によりて消化し。
  聖き命の力となして。
  世の為人の為アナタの光栄を顕すべき働きを為しうるやう。
  恩寵を垂れ給へ。


  晨朝の礼拝
  
  「至心に帰命す」
  法身 報身 応身の
  聖き名に帰命し奉る
  三身即一に在ます最と尊とき唯一の如来よ
  如来の在さざる処なきが故に
  今現に此処に在ますことを信じて
  一心に恭禮し奉る
  如来の威力と恩寵とに依て
  活き働き在ことを得たる我は
  我身と心との総てを捧げて仕え奉らん
  冀はくは光栄を現すべき務めを果たす恩寵を垂れ給え


  「至心い勧請す」
  三身即一に在ます如来よ。
  如来の真応身は在さざる処なきが故に
  今我身体は 如来の霊応を安置すべき宮なりと信ず
  諸々の聖者の心宮に在しし如く
  常に我らが心殿に在らせ給え
  今や己が身を献げて至心に如来の霊応を勧請し奉る
  霊応常住に我心殿に在まして転法輪を垂れ給え
    
   
  昏暮の礼拝
    「至心に感謝す」
    大慈悲に在ます我らが如来よ。
  如来が与え給へる明き光と清きえい気と
  新しき糧とに依りて今日一日の務めを
  果たしたる恩徳を感謝し奉る
  如来の神聖と正義と恩寵との光明を被むり
  今日聖意に契ふ務めを得たりしは
  全く聖寵の然らしむる処
  深く其の恩徳を感謝し奉る


  「光明摂取の文」

  如来の光明は遍く十方の世界を照らして念仏の衆生を摂取して捨て給わず