1.初めに

 辨榮(弁栄)聖者が亡くなられたのは大正9年であるから,現在ではもう弁栄聖者に直接お会いした方はほとんどないと思われる。
とても幸運なことに昭和61年1月3日午前,光明会本部聖堂(芦屋)でのお別時の折,鈴木憲栄上人から弁栄聖者のお話を 聞くことができた。 当時鈴木上人は93歳であった,大変お歳を召されていたが,是非聖者にお会いしたときの様子およびその後随行した様子 を伝えたいということで, その様な貴重な機会に恵まれたのであった。そのときもそうだったが,今なおその録音を聞い ても非常に深い感動と 不思議な霊感に打たれる。
大正7年知恩院での講習会のあと聖者の休憩しておられる部屋を訪れ直接お目にかかったという:

「鈴木さん,あなたは如来様が拝めますか?」
とそのとき仰った。
私は「わかりません」とお答えするよりほかなかった。聖者は
「如来様はねー,私たちの真っ正面にましまして,私どもを常に見そなわしたもうのですよ。
私どもが,南無阿弥陀仏と称うれば,如来様は そこから (註:聖者はそのときお指で空中を指さされて) ちゃんと聞いていてくださいますよ。
礼拝すれば見ていて下さいますよ。こころに 念いもうしあぐればちゃんと知っていて下さいますよ」。
と仰った。
私には如来様がまだ拝めないけれども,何か私の真っ正面に在して,私どもをみそなわしたもうようにおもえるのでした。

それまで,阿弥陀様は西方十万億土かなたにおられ死後にお会いするもの,と思っていた上人は非常にびっくりしたという・・・。

 新潟大学附属図書館の書庫には田中木叉上人が膨大な資料をもとに聖者の伝記を書かれた: 
「日本の光」
がある。また聖者の御遺稿集のうち
「人生の帰趣」,「光明の生活」,「不断光」,「道詠集」
も所蔵されている。