6.御遺稿集から

1.人生の帰趣より

ミオヤは私どもに日々のかて年々の衣物も天地の間にできるようにして
私どもなる子どもに弁当を与え下さるのは50年60年間の人間という学校
にて精神のうちに聖なる徳をやしないて私どもをミオヤのよつぎたる
きよきみくににのぼることのできるようにとの目的によりて
かてを与え給うのでありましょう,人間界は聖なるこころを
やしなう学校でありますぞ。

初めに人生の帰趣の標準を定めるのに

(1)には宇宙の大法に則りて最終の目的に向かって進取す。
(2)には自己の伏能を有らん限り発展して向上的に生活す。

初めに宇宙の大法則に則って終局に到達するとは,吾人は一切の万物と共に宇宙の大法を離れては存在は出来ぬ。
また宇宙の大勢力に依らずして帰着することは不可能である。
また自己の本能に伏蔵する性能を離れて自我を円満に発達すべきものではなかろう。 自己の伏能を遺憾なく発揮してあたふ限り努力すべきが人生の本務であると信ず。
宇宙の大法と自己の伏能の発達とは矛盾するものではなく自然に合致するものと信ず。


人生は実にはかなきもの,吾人は此の宇宙の大なるに対してその小なること,
海上に突出したる一巌頭,実に小なりといえどもその根底に於いて甚大なる事無辺なるに比し,
吾人の生命も実に50年位の間なれどもその生命の本体は無限宇宙の大生命というべき絶対の大霊を
根底とす。人はその大霊の一生命である。