8.さえられぬ光に遇いて
この章には聖者と関連のある文章を載せます。この章のタイトルは同じ名前の
熊野好月様の本(昭和39年発行)から取らせていただきました。
1. 相馬千里氏による思い出(大正15年11月,ミオヤの光)から
今より十余年の昔であります。
私が米国から2度目の帰朝をしましたときであります。永らく東京本郷の大槻館へ滞在させても
らっていました。館の主人は聖者の親類であり幼友達である染谷近太郎氏でありました。
前日降った雪が軒端に点々と残っていたある寒い晩でありました。
私は早くから床をのべて小説を読みながら横になって居ますと, 当家の親族で当時高商(現一橋大)を出て
電球製作所の事業を起こして居られた小林勝太郎氏が部屋に来られて,
「今晩次の室で辨榮聖人のお説教 がるから起きてこぬか」
との親切なお誘いを受けました。霊の扉のさび付いていた私は申しました。
「辨榮さんて米粒へ字を書く人でしょう。ありがとう・・・」
私は床を出ようともしませんでした。
南無阿弥陀仏,南無阿弥陀仏,南無阿弥陀仏・・・
と静かな称名のお声が私の枕元の障子への衣擦れの音にもつれつつ
聖人は次の室へお入りになりました。
雪あがりの本郷の横町 はひっそりとして居りました。唐紙一枚隔てて称名のお声をききながらも
私の心の奥底には何の米粒行者の説教とフフンと不遜な 心が鎌首をあげておりました。
七,八人の人が集まってお説教が始まりました。
如来の光明は太陽の光の様にわれら衆生の心を霊化して下さる
という事を 動植物の例を引いてのお話と記憶して居ります。
小説を手にしたまま人々の帰ったのも知らず,そのまま眠った私,
何という失礼な そして不謹慎な荒んだ心だったのでしょう。
それで口先だけではひとかどの布教家のつもりで演壇に立ったのです。
ふと時計の音を聞いて目を覚まし数えれば午前3時でありました。
軒端のしづくもつららと凍ったか点滴の音も絶えた真夜中 ,
静かに南無阿弥陀仏のお声が漏れてくるのは次の室であります。
電気もついております。唐紙の間より窺いますれば袈裟をお頭の上より真深に被りたまう聖人は
深夜の寒さもおいといなく, 机に向かって筆を走らせたまうのです。
その間にも称名のお声は絶えませんでした。
ああ雪の越路に聖人が化を遷したまいて茲に七星霜,
御遺文お慈悲のたより今版に 上がりて世に出づとときく,数百通の御文章の中,
かの本郷の雪の一夜の御筆もこむるべきを思う。
否一通一通の御文章は皆われらの休みわれらの眠れる時休み給わず
眠り給わざるわれらへの大慈悲の血肉とただ涙するばかりで あります。
翌朝,私が起き出た時は聖人は雲の如くお発ちになって,都大路に尊きみ姿を見失いました。
私は遂に温顔に接する時期を とこしえに失いました。されどその一夜,
私に触れたインスピレーションその不言無意識の感化は今の私の心に生き生きと した強い力を感じます。
2.さえられぬ光に遇いて
熊野好月様の本(昭和39年発行)から
・・・時は大正8年8月11日,実に聖者御入寂の前年でありました。
嗚呼思えば大悲の御はからいの貴さよ!!
私にこの逆境をお与え下さいませんでしたならば,うかうかとして道を求むる心も起こらなかったでありましょう。
ぐずぐずしておったならば,此の遭い難き聖者に永遠にお目に掛かる機会もなかったでありましょう。
・・・拝しまつるだに御質素な御服装,御謙遜な態度,
今まで嘗て見たこともない,洋々とたたえた大海のような和らぎと春の光に照らされるような温かさ,
透き通った無我な御風貌,私は久しく親をたずねあぐんだ迷子が,
ふとなつかしい慈母にめぐり合ったったような
,只一切を赤裸々に投げ出してわっと泣き伏したいような心地,お目にかかった瞬間から言うに言われぬ
心に溶かされてしまったのであります。
御慈訓の数々はとうてい一口には言えませぬので次ぎにその一端を述べさせて頂きたいと思います。
私は大勢の信者の間にいだかれて,この一日が非常に長かったようでもあり,また,
夢のような思いで我を忘れ,大変短かったようにも思われました。
お上人様はもう私の心の底まで見とおしておいでのようで,お話して下さいます一言一言が腹にしみこむようにおもわれました。
私たちは肉体はこの世の親からもらいましたがその中に心霊のおや様から仏性
という仏になる尊い種をいただいております。それは丁度卵のような状態で,
親鳥にあたためられなければひよことならないように,又植物の種が土にまかれ
て太陽の光と適当の湿気を得なければ芽生えないように仏性の種も一心にお念
仏申して親様のお育てをうけなければ生きてまいりませぬ。・・・
久保山の光明寺にて:
紫にほふ入り日の様なくば 何にたとえん聖きみ国を
この清い景色と温かい何とも言えぬ歓喜と平和さにみちた,別時三昧会の雰囲気につつまれて私は,昨日までの
生活が何だか,遠い遠い昔の事の様に感ぜられました:
極楽に行くのではない。極楽が来るのです。むこうから来るのではなく,
ここが明るくなってくるのです。
人を殺す罪は非常に重い,中でも父母を殺し出家を殺す罪が最も重いとされている,
しかしそれよりも一層重い罪がある。それは如来からいただいている己が霊性を殺す
ことである。
当麻山無量光寺 お受戒にて
此の罪障深き身の,何の勝宿縁あってか,かくも世にあい難き聖者に直接に仏種をいただくの縁にめぐまるるかと只もったいなさ,有り難き涙に咽び,懺悔と感謝のうちに,御手ずからなる御剃髪度,御血脈とお袈裟,
そして戒名を「好月」とつけて戴いたのでございます。
たとえば杉の種をまいて芽生えても一時に大きな杉の木とならぬように仏様のお慈悲
を戴いて段々とお育てをうけるのである。我々に無始以来,多くの業障をもっていて,初
めは如来様のいます事尊いという事さえわからぬ。至心に懺悔し,念仏する時,
次第に光りが入ってきて罪の深い事も分かってくるのである。信仰心のない人は
人の悪は見えても,自分の悪い所は見えぬ,唯如来のみ光に照らされてのみ己が
罪に気づくのである。
こうして人として生かされている其の事がすでに大きなご恩ではないか。
まして耳に聞き眼に見ること等のはたらきを与えて戴いたご恩を忘れてこれを我欲のために
悪用し,かえって恩を仇にかえしている。
3.「乳房のひととせ」(上)
中井常次郎様の本。昭和8年。 以下聖者からの聞き覚え:
世の中に我がものとて無かりけり
身さへ土に返すなりけり
心は如何に遠きものをも,近きものをも,同時に思うことができるのは何故かと言えば,
心は行ったり来たりするもので無いからである。心は時間,空間を超越したものである。
宇宙を肉眼で見れば生死界であるが,仏眼で見ればルシャナ如来の蓮華蔵世界
である。その中に如来まします。
六道の衆生はそれぞれのアラヤ識で世界をみている。
仏智をもって宇宙をみれば無辺の蓮華蔵世界である。
真宗では南無阿弥陀仏の文字に功徳がありというが,そうではない。如来は現にここに
在して,吾等がその御名を呼べば聞いて下さるから有り難いのである。
われらは総て大みおやの子である。今はそのみおやが明かに解らぬが,みおやの智慧と慈悲
との光明に育てられる時は心が生まれかわり,みおやの子なることがはっきり解る。
凡夫はアラヤ識という研かぬ珠で世界を見ている。アラヤ識の眠りからさめると仏智となる。
只食べて生きるだけなら犬猫と変わらぬ。人間は信仰により霊にめざめ
大みおやの御許へ帰る資格を造らねばならぬ。
犬の胎内で,犬の形に決定せる者が出産まぎわに人間に早変わりすることはできない。
老いて気が短くなり愚痴っぽくなれば餓鬼になる・・・
浄土教は聖道のやうに理屈をいわぬが,如来を慕わせる。これは浅いやうに見えるが
深く仏心に入り,徹底した最も深い悟りを得る法である。
よく気をつけて念仏申しても,じきに妄念が起こってくる。けれども妄念が起こる度に根気よく
振り捨てて,仏おもひの心を起こして居れば,だんだんと妄念が薄らぎ,奧の心が現れてくる。
太陽の光よりも強い光明を見る。
人を嫌うのは自分に欠点があるからである。如来の光明は信仰ある処に宿る。