2003 2004 2005
浦浜コース3合目付近から
1. 1月1日 晴れ,最高気温5度,稲島登山道から
今年の元旦はおだやかに晴れて,絶好の登山日より。
稲島登山口は第二駐車場まで満杯。観音堂まえからは内陸の山々がくっきりと。
冬の日 しづかに泪をながしぬ
泪をながせば
山のかたちさへ冴え冴えと澄み
空はさ青に
小さき雲の流れたり
音もなく
人はみなたつきのかたにいそしむを
われが上にも
よきいとなみのあれかしと
かくは願ひ
わが泪ひとりぬぐわれぬ
今は世に
おしなべて
いちじるしきものなく −− 三好達治
2. 1月8日 曇り,最高気温2度,稲島登山道から
現在津南町で 385cm の積雪だとか,数ヶ月まえの長期予報では暖冬であった。
地震の予知はできない,長期予報はまったく当てにならない。ましてや健康な人の命の予測など
不可能。
(徒然草109段から)
高名の木登りといひし男、人を掟てて高き木に登せて、梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ
事もなくて、おるゝ時に、軒たけばかりになりて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りし
を、「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に
候ふ。目くるめき枝危きほどは、己れが恐れ侍れば申さず。あやまちは安き所になりて、必ず仕る
事に候ふ」と言ふ・・・・・・・
うかつにもアイゼンを忘れてしまった,下山では頂上に近い危険なところでは足場をつくり
ゆっくり慎重に降りた,間違えば山の斜面を転落だからおのずとそのようになる。それで無事
安全なほぼ平なところに戻ってきた。ところが,ここで2回ほど転んでしまった。 1回目は
上の徒然草を思い出して気を付けなければと思っていたが,重大な事故の危険性はないので
甘く見ていたのだろう,更にもう一回ころんでしまった。イヤハヤ。
もみの木ならぬ,スギの木に雪。雪は静かな幻想的な世界を作り出す。
童話も生まれよう。
この厳しい時期の平野の眺めもすばらしい。しばしこころを大自然界に遊ばす。
3. 1月15日 曇り,最高気温8度,稲島登山道から
2日まえから急に気温が上がり,雨も降り,雪解けが進んだ。
だが山にはまだ沢山あり,本格的冬はこれからだ。
なのに,昼の長さが伸びたのが感じられ,木々は芽吹きの準備をしている。
4. 1月29日 曇り,最高気温7度,稲島登山道から
木々に葉がないので,夏には見られない景色が今は見える。
観音堂から頂上へ向かう路から弥彦山と国上山が展望される。
単色墨絵の世界。
生命の営みの感じられない世界で,逆に生というものを強く感じさせられる。
こうして今心臓は休みなく動いていて,意識もはっきりして生きている。
透き通った空間の中に,雪の中のスギの林が見える,竹の緑も見える,登山の人も見える。
・・・・弁栄聖者のお言葉
向こうに見ゆる山河大地の物象は自己の観念が客観化して現じた相である。
実は自己の心の相を向こうにみているのである。
向こうの物それ自体は何であるかというと,物の象と現れたのは自己の観念の相である。
もし自己の心がなければ外界の相は如何なるすがたなるかは認識することはできない。
主観の心相と客観の色相とは実は本質一体である。
見よ,自己が頭より脚下にいたるまで外部より見れば全体物質のみである。
しかるに同一の自己を内観すれば全体精神である。
物色と心象とは本来一体の両面である。
・・・
生きている不思議と,生かされているよろこびを想う。
5. 2月12日 曇り,最高気温1度,稲島登山道から
観音堂前広場から頂上へ向かう途中,雲の切れ間から太陽がのぞき,一本の白銀の道
がキラキラとかがやく。
光は強く,空気も厳しくはりつめている。空は青く,木々は深い眠りの中にいる。
6. 2月19日 曇り,最高気温8度,稲島登山道から
越後平野を超えた彼方 飯豊連峰がくっきりと厳かに のぞまれる はりつめた冷気の
なか厳かに白銀がかがやき 神秘の霊感にうたれる
やがて,Bruckner
の交響曲8番が流れ来る 第1楽章の Allegro moderato
第2楽章の天地鳴動の Scherzo を経て第3楽章の Adagio に入ると天の国か
らの澄み切って美の音楽だアルプスならぬ飯豊がかがやく そして第4楽章
Finale では,
眼前に迫り来る峻厳な山々と,人の生のはかなさをうたう 雄大神秘おごそかな曲は
とわに鳴り続ける
Beethoven
の交響曲第9番とならんで交響曲の最高峰だ
7. 2月26日 雨,最高気温10度,稲島登山道から
秋になると,葉が落ち,春になると芽が出るのは不思議と思わなかったが,
南の国の友は違った見方をしていた。
これに関して以下のような感動的な見方をもらった:
Oh,
I like that tree of cherries. For me, it symbolizes hope. After some time
when
its leaves are gone, come new set of leaves, fresh and young, full of
radiance
and vigor.
8. 3月5日 晴れ,最高気温13度,稲島登山道から
梅の便りも聞こえ,椿が真っ赤な花をつけている。木々の蕾もふくらみ日射しが
強くなった。田んぼではあちこちで仕事をする人が見られるようになった。
ことしは特別平成18年豪雪と名前が付いたとか,山頂はまだ雪が30cmくらい残って
いる。鶯はまだだが,この時期はやはり早春賦。
春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる 胸の思を
いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か
9. 3月11日 晴れ,最高気温18度,宮前登山道から
宮前登山道では今雪割草があちこちで花開いている。
枯れ葉の間からつつましい花をつけている。
雪がとけて,草木が芽生えるのに先立って春を最初に告げる花だ。
花弁の数がフィボナッチ数列の中の数になっていない。他の花と違う何か理由があるのか?
いま,山はこれから生まれ出ようとする生命で満ちている。
10. 3月18日 晴れ,最高気温15度,宮前登山道から
春の交響曲といえば
Schumann (1810-1856) 第1番。各楽章は「春のはじめ」,「たそがれ」,
「楽しい遊び」,「春たけなわ」という標題がつけられていた。Schumann
独特の叙情的だが,
後期作品のように深刻ではなく,生き生きと明るい音楽である。ドイツの春を迎えるよろこびが
あふれている。
雪割草は今が盛り,カタクリは柔らかな赤っぽい芽を出して,木々は芽ばえ,山は若い命の誕生
でにぎやかである。
帰りには久しぶりに CAVE D'OCCI に寄ってみた。下の写真はバラ園から角田山を望む。
11. 4月1日 晴れ,最高気温12度,宮前登山道から
2週間ぶりで山は,雪割草に代わりカタクリの花が咲き始めていた。
ひなたにはトカゲも現れた。
Mozart
(1756-1791) 作曲の明るく美しい歌曲 K 596,春への憧れが流れる。
Mozart の曲の明るさは内に深い悲しみを秘めている。またこの歌曲は
簡潔な中に Mozart 晩年のとぎすまされた美しさがあり,せつない。
この曲は最後のピアノ協奏曲27番 K595 の3楽章の転用である。
おいで,いとしい五月よ,そして
木々をふたたび緑にしておくれ
そしてぼくのために,小川のほとりで
小ちゃなすみれを咲かせておくれ!
だってぼくはほんとうに
すみれをもう一度見たいんだ!
ああ,いとしい五月よ,ほんとうに
一度散歩してみたいんだ!
1791年冬作曲なので,一度スミレを見られたが,二度とはできなかったようである。
12. 4月9日 晴れ,最高気温10度,宮前登山道から
今次々と花が開き始めている。登山道の両側はカタクリの花でいっぱい。
レンギョウも咲き水芭蕉も咲き(これは花ではないそうだが)木々が芽生えている。
坂村真民の有名な詩に,「念ずれば花ひらく」という詩がある。次のようなものだ
念すれば 花ひらく
苦しいとき 母がいつも口にしていた
このことばを わたしはいつのころからか
となえるようになった そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと ひとつひとつ
ひらいていった
一方自宅近くの真宗のお寺の山門横の掲示板に書かれていた言葉:
願わずとも 花開き
願えども 花散る
基本となる思いはそれぞれ自力と他力であるが
どれも読む人のこころに応じてその意味も味わい深さも変わる。
それにしても・・・・・後者の,大宇宙のおおきな力の前に人の力の小ささよ。
13. 4月15日 晴れ,最高気温18度,稲島登山道から
風がつよく畑の土が舞う。上堰潟では菜の花の一面の黄色が鮮やか。
この世には忘れぬ春のおもかげよ朧月夜の花の光に
後白河天皇第三皇女 式子内親王
14. 4月23日 晴れ,最高気温18度,稲島登山道から
敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花
本居宣長
太陽の東より昇ってまず絶東の島しょうを照らし,桜の芳香朝の空気を匂わす時
いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない
新渡戸稲造
これぞ日本の春。これぞ新潟の春。
春を求めて,花を求めて,佐潟,仁箇堤,角田山,上堰潟をまわる。
夢の世界。あまりのうつくしさに時よ止まれ。
こころのなか春を歌った日本の童謡が流れるかと思いきや
毎年おなじ逝きつつある春をせつなく惜しむラフマニノフの交響曲だ。
春のよろこびを謳うのでなくせつなく惜しむ
ロシアの人々にとって春を惜しむ気持ちははるかにおおきなものがあるのだろう。
いつはてるともなく美しい音楽が続く。
Rachmaninoff の Symphony 2nd 3rd とともに行く春を惜しみつつ一日中春の中に遊ぶ。
15. 4月29日 晴れ,最高気温24度,灯台コースから
武島羽衣作詞・田中穂積作曲 の「美しき天然」の曲。
悲哀感のある旋律で,幼いころサーカス小屋からよく流れてきた。
その本当の歌詞を知ったのは大きくなってからである。
下は3番の歌詞である,今日の情景では明るくこころ弾むメロディーがほしいところだが
詩だけだと合う。
山のあちこちに桜がかすみのように映える。
うす墨(ずみ)ひける四方(よも)の山、 くれない匂(にお)う横がすみ、
海辺はるかにうち続く 青松白砂(せいしょうはくしゃ)の美しさ。
見よや人々たぐいなき 此の天然のうつしえを。
筆も及ばずかきたもう 神の力の尊しや
16. 5月6日 晴れ,最高気温25度,宮前コースから
ひるどきのふもとの村はゆったりと平和な時が流れる
山はもえぎのおさない葉と桜,それにうぐいすの声
夢みたものは・・・ 立原道造
夢みたものは ひとつの幸福 ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘らが 着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて 田舎の娘らが 踊をおどつてゐる
告げて うたってゐるのは 青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたってゐる
夢みたものは ひとつの愛 ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
17. 5月14日 晴れ,最高気温18度,稲島登山道から
八重桜も葉が多くなり,新しい芽の成長は速くもう森は緑につつまれている。
森では鶯がなき,渓流ではカジカが鳴いている。
今夜私はどこで眠るのだろうか?そんなことはどうでもよい!世界はどうなっているだろうか?
新しい神々が,新しい法律が,新しい自由が発見されただろうか?そんなことはどうでもよい!
けれど,こんなた高みにもまだサクラソウの一種が咲いていて,葉が銀色の毛でおおわれていること,
下の方のポプラの葉の中で快いそよ風が歌っていること,私の眼と空のあいだに一匹の黒っぽい金色
のミツバチがブンブン唸ってとんでいること,−これはどうでもよことではない。ミツバチは幸福の歌を
うたい,永遠の歌をうたっているのだ。その歌こそわたしの世界の歴史だ。
Hermann Hesse わが心の故郷アルプス南麓の村から
18. 5月21日 晴れ,最高気温21度,五箇峠登山道から
イギリス音楽には春の田園の情景を描いたすばらしいものがものが多い。まず
Vaughan Williams の交響曲第3番「田園交響曲」や,オーケストラ作品揚げひばり,
沼沢地方にて,や Delius の「春初めてカッコウを聞いて」という今の時期にぴったりのもの
もある。
カッコウの鳴く爽やかな春の朝角田山に向かう。
昼の時間の長い今五箇峠に行くことにした。
この登山道は2回目。ずっと以前に通ったことがあるが途中の様子もほとんど忘れている。
新潟方面からだと一番遠くの登山口になるし,登山口が少し登ったところなのでそこにたど
りつくまでが
大変。ただ,登山道は長いが緩やかで楽である,また見せ場もないし花もすくない。
今タニウツギとエゴの花が咲いていた。
19. 5月27日 晴れ,最高気温27度,宮前コースから
今年の春は雨が多く,日照不足が心配である。日曜日は雨の予報,そこで土曜日に
登山。宮前コースのエゴの花は咲いたろうか?CAVE DOCCI のバラは咲いたろうか?
と期待しながら向かう。今花はツツジと山藤が盛りである。乾燥しているためか佐渡が
くっきりと日本海に夢のように浮かんでいるのが見える。
もうそろそろ五月も終わるがハイネの五月の詩を:
五月がおとずれた 草に木に花はひらき
ばらいろの雲が 青空のなかををゆく
しげる木々のこずえから うぐいすは歌をうたい
しろい子羊はやわらかな みどりのクローバーにおどる
ぼくは歌えない おどれない 病んで草によこたわり
はるかな音をきいて あてもなく夢にふける
五月がおとずれた
20. 6月11日 曇り,最高気温24度,稲島コースから
僕は森の中にひっそりと咲くバイカウツギ(梅花空木)の花が大好きだ。
今日もバイカウツギの花をみようとわくわくしながら登った。
実は一番いいやつは,稲島コースの,虚空蔵菩薩をめぐるルートにある。
このルートは,途中が通れません,と案内が出ている。
谷川にかかる丸太橋が壊れているのと,途中崖っぷちの危険な道があるためだ。
花は虚空蔵菩薩のすぐそばに咲いている。
昨年も同じことを書いたが,この花を見ると,Faure'
の Requiem を思い出す。
清楚純白の天の歌だ。
山の帰りにやはり庭先に咲いているこの花を見たが,余りよくなかった。
やっぱり大自然のふところにひっそりと咲くのがいい。
ところで,これはエゴの花とすごく似ている。バイカウツギの花弁は4枚,エゴは5枚
のようである。
上の行は虚空蔵菩薩そばのバイカウツギの花 下の行は頂上のエゴの木の花
21. 6月18日 曇り,最高気温25度,浦浜コースから
自宅から一番遠いこのコースは10年ほど前,グループで登ったきり今回初めてである。
途中越後七浦シーサイドラインを行く。道路に迫った崖にはイワユリが点々と咲いている。
集落の廃校の裏に登山口がある。かつては生徒でにぎやかであったのだろう。
コンクリートの校門や記念碑が残っている。時代の流れを感じさせる。
ほとんど登山ルートを忘れているので,未知の道を歩む楽しさがある。
ブナが多く新緑が目にしみる,木々の元気をいただく。
22. 6月25日 曇り,最高気温25度,福井ほたるの里コースから
ひとり林に・・・
立原道造
だれも 見ていないのに 咲いている 花と花
だれも きいていないのに 啼いている 鳥と鳥
通り遅れた雲が 梢の 空高く 流されて行く
青い青いあそこには 風が さやさや すぎるのだろう
草の葉には 草のはのかげ
うごかないそれの ふかみには
てんとうむしが ねむっている
うたうやうな沈黙に ひたり
私の胸は あふれる泉 かたく
脈打つひびきが時を すすめる
23. 7月2日 小雨,最高気温26度,稲島コースから
観音堂前広場から。重く浮かんだ雲の下,上堰潟と平野がみおろされる。
小雨模様のため登山者も少ない。そんな中エゾ紫陽花がひっそりと咲いている。
昼食後草原に寝ころぶ,ほんの15分程度だったと思うが
心地よくぐっすりと寝込んだ。
24. 7月9日 雨,最高気温28度,稲島コース
雨の中を角田山へ。ふもとではニイニイゼミが鳴いているのに,
頂上付近では鶯がないている,奇妙な気分だ。
この雨の中,けっこう登山者がいる。中高年だけでなく,幼稚園・小学生が親に励まされ
グループで登っていた。山では挨拶するようにと教わっているらしく,みんな
「こにちは」「こんにちは」と元気いっぱいこえかけてくる。
雨の日ににあう花,紫陽花も元気いっぱいだ。道端は普通の紫陽花が多いが
山はガクアジサイだ。
25. 7月16日 雨,最高気温27度,稲島コース
毎日毎日雨。霧に閉ざされた山道をあるく。ぬれた緑の木々と草草も新鮮で身とこころに
不思議な力を与えてくれる。観音堂で昼休みしていると突然雲が切れて下界が眺められた。
ほんの1分間くらいのできごとであった。
北原白秋作詞・弘田龍太郎作曲
雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒(べにお)の木履(かっこ)も 緒が切れた
雨がふります 雨がふる
昼もふるふる 夜もふる
雨がふります 雨がふる
26. 7月23日 曇り,最高気温30度,宮前コースから
9:50 自宅発 11:00 宮前登山道入り口 12:20 頂上
13:50 下山 14:50 登山道入り口
湿度が高くあせびしょ。ときどき,森の下から吹き上げてくる風の何と気持ちいいことか。
ことしもヤマユリが咲いた。緑一色の森の中に突然純白の大輪の花が出現する,
しばし立ち止まりヤマユリと時間と空間を共有する。
27. 7月30日 晴れ,最高気温28度,福井ほたるの里コースから
10:00 自宅発 11:20 福井ほたるの里コース登山道入り口
12:30 頂上 13:50 下山
今年も昨年と同じ山ユリが咲きました。帰りには旧庄屋,佐藤家に寄ってくる。昔わが家も
藁葺きの家だった。暑い夏でも藁の家は天然の涼しさがあった。昔農作業で使った道具も
展示してある。すべて懐かしい・・・
近くに良寛さんの
歌碑がある:
福井なる 矢垂の橋に
きてみれば 雨はふれども 日は照れるとも
それほどいい歌とは思えないけど,五合庵から托鉢のときに福井までも来たのであろう。
ひょうひょうとしたなにごとにもとらわれない良寛の生き方が出ているようだ。
28. 8月6日 晴れ,最高気温31度,宮前コースから
ひまわりの季節
ひまわりは 金のあぶらを 身に浴びて ゆらりと高し 日の小ささよ
途中の村落にあかいがけを着たお地蔵様が並んでいる。暑い暑い,汗でびっしょり。だが,
もう山では,ひぐらしが鳴き,ナナカマド,桜の葉は黄色みを帯びている。登山者もいつもより少ない。
29. 8月27日 晴れ,最高気温32度,福井ほたるの里コースから
古今和歌集から
夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへすずしき風や吹くくらむ
田んぼの稲は葉が黄色く色づき,実で重くなり
山の木々の葉はやや黄色みを帯びて,頂上ではススキが穂をつけ,秋の訪れが実感させられる。
30. 9月3日 晴れ,最高気温28度,竹野町五倫石コースから
久しぶりに五倫石コースから。 乾燥して佐渡はもちろん粟島までくっきりとみえた。
エゴの花はもうみごと実になっていた。
ふもとで空にしたペットボトルはたった480メートル程度の頂上で少しへこむ。
地球の大きさと比べて驚くべき空気の少なさである。こんなに少ない空気でアメリカ,中国
を初め世界中で人間の欲望のまま空気汚染していたら早晩地球の深刻な危機が訪れるで
あろうと恐怖である。千年後の地上はどんな姿であろう?
千万年経たときに土の中から
草のように芽をふくのぞみがあったらいいに!
(ルバイヤート)
帰りに菖蒲ヶ丘古墳による。墓の中の人の生きた時代はどんなものだったろう?千年後の
現代はとても想像出来なかったろう。
31. 10月1日 曇り,最高気温24度,宮前コースから
春霞かすみていにしかりがねは今ぞ鳴くなる秋霧のうへに
木の間よりもりくる月の影みれば心づくしの秋は来にけり 古今和歌集
山の近くの畑では昨年もこのころ園児と親たちがサツマイモほりをしていた。
木々は順に紅葉してゆく,真っ赤なナナカマドが一番早い。桜も早い,だが色はいまひとつ。
スズメバチが出たとかで登山口には注意の喚起が。熊の被害が全国ニュースでで聞かれる
ようになった。秋,秋,秋。
32. 10月9日 晴れ,最高気温21度,福井ほたるの里コースから
台風並みの低気圧で荒れた日も過ぎ,3日ぶりにおだやかに晴れ,下界からは運動会の歓声やら
太鼓の音がきこえてくる。あの響きはあるいはサッカーの試合かもしれない。
青く澄んだ空に紅葉となると,いつものことであるがブルックナーの交響曲2番が鳴り響く。
この情景にこれほどぴったりの曲はない。ブルックナーはオーストリアのアルプスを
を望む自然の情景を描いたのかも知れないが,日本の秋もぴったりなのだ。
33. 10月15日 晴れ,最高気温21度,稲島コース
久しぶりに稲島コース。椿谷の手前のところでリスに出会った。角田山にリスがいたとは
ビックリ。かなり大きくしっぽと胴体で30cm くらいあった。カメラで撮影する間もなく茂みに
入ってしまった。あちこちで熊との遭遇がニュースになっているがリスはかわいくていい。
動物たちは冬ごもりの準備中なのだ。 (それにしても熊を”駆除”したとは何とイヤな言葉だろう。
写真撮れなかったので以前 Shoenbrunn 宮殿の林の中でであったヤツを代わりに。)
途中から虚空蔵菩薩のあるルートに入る。道は荒れているがいかにも登山らしい。
6月にみごとな花をみせていたバイカウツギも今は紅葉していた。
34. 10月22日 晴れ,最高気温22度,宮前コースから
私の幼い頃の日本の田舎の情景:
短い秋の日も暮れ,夕焼け空のなかカラスもねぐらへいそぐころ
子供達はまだ遊びたりなくて外で遊びに夢中になっている。
藁葺きの家々からは夕餉の煙が立ち上り,やがて母が「ゆうめしだよ〜」と
呼ぶ。気がつくとおなかもペコペコだし,しかたなしに遊びを止めて,家に帰る。
薄暗い電灯の下,ちゃぶ台にはそまつな夕食がならんでいる。
そまつではあるが,ペコペコなおなかにはなによりの食事である。おやじをまんなかに
夕飯のときだ。テレビなどない,おやじの昼の仕事の話とか,
子供の昼の出来事とかでひとしきり話題になる。
めしも終わると静かな秋の夜だ。昼の遊び疲れでまぶたは重い。
裏の山からは,虫の鳴き声とときどき落ちるドングリの音。
静かな静かな里の秋。
静かな静かな 里の秋 お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人 栗の実 煮てます いろり端
子供も痩せているが活発に動き回り目も生き生きと輝いていた。
童謡や唱歌には失われつつある日本の情緒を歌ったもののがいろいろある。
里の秋もその一つだ。
宮前コースは長い,途中2つの小山を超える。下の写真は3角地点。里山の秋の景色:
35. 10月28日 晴れ,最高気温22度,湯の腰コース
1年半ぶりの湯の腰コース。途中林道を行き,いくつかの別荘がある。本格的に山道に入ると小さい沢
がある。深い森の中を行くが,たまに平野が見られる。今日は新潟の市街地まで眺められた。
全山紅葉だといいのだが,遅く紅葉するものや杉などがありそういう訳にはいかない。
頂上手前ではもうブナの葉もおちて枝が目立った。
36. 11月12日 曇り,最高気温12度,稲島コース
昨日低気圧が通過して,冬型の気圧配置。
向かい風で自転車が進まない。
こういうときはのんびりと行こう。まわりの景色を見ながら進む。
今山茶花がきれいだ。純白とピンクが多い。
山は紅葉が進み,頂上付近は昨夜の風で枯れ枝だけ残っている。
37. 11月19日 晴れ,最高気温12度,福井ほたるの里コースから
紅葉のなか柔らかな秋の日射しがはかない。人生の秋をしみじみと美しく歌った,
ブラームス交響曲4番がずっとこだましていた。これは私の最も好きな交響曲の一つ
である。最も好きなものはベートーベンの3番,ブルックナーの8番とブラームスの4番だ。
孤独なブラームス52歳の作品。先年亡くなった指揮者朝比奈隆氏の評:
「年をとった男には心のなかの宝です」。
まだ聴いたことのない,若くない男の人は是非すぐCDショップへ!
演奏は指揮者で随分と異なった情緒を作り出す:
ワルター:どこか懐古的で明るく美しい。過去をしみじみと思い出している感じだが,前向きの姿勢である。
フルトヴェングラー:悲劇的で深刻,内容が深く,人類の苦悩のよう。しかしその美しさは例えようもない。
クナッパーツブッシュ:人間界の悲しみを超越し,大宇宙の無常感と深化している,しかし力強い。
ムラビンスキー:抽象的である,鋭くえぐる悲しみと無限の息づかい。
シューリヒト:無常観と郷愁が懐かしく心の琴線に触れる,しかし情に流されない。
バルビローリ:孤高の哀歌,とても切ない。
カラヤン:表面的美しさはあるが内容にとぼしい。
頂上についたら曇り,風も出てきて,寒い。おにぎりで腹ごしらえ,コーヒーで体をあたため
少し休み下山。
38. 12月10日 曇り,最高気温9度,稲島コース
3週間ぶりの角田山,まだ雪はないが寒い。すっかり淋しくなった山だ。それでも
訪れる人は多い。年間をとおしての固定した登山者なのだろう。
谷には緑の草があり,春先のようにも見えるがまだ,冬はこれからだ。
頂上の気温は3度。風もありじっとしていると寒さがしみこんでくる。
39. 12月24日 曇り,最高気温8度,宮前コースから
山里は冬ぞ さびしさまさりける
人目も草も かれぬと思えば 百人一首
本格的冬はこれからだが,冬至をすぎ太陽は北に向かうとおもうと気分的に明るくなる。
道はぬかるんでいて,長靴もうえまでどろだらけ。葉の落ちた木々の山ではわずかに椿,
青木や杉だけ青々としている。ほかのものみな眠っているかのようだ。淋しい冬だが,
1年で好きな季節:
春が好き,夏が好き,秋が好き,冬が好き
12月にバラはいらない,5月に雪はいらない
という歌があった。