角 田 山 の う た 2008
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1. 1月1日 曇り時々雪,最高気温5度,稲島コース
新年は人間が決めたものだが,何となく天地一新あらためられ,希望に胸ふくらむ。
新しき年の始めの初春の今日ふる雪のいや重け吉事 大伴家持
ことしも元気に新年早々に山に登る。時々吹雪くが,ときどき日の光がさしたときの雪
の森の情景は感動的。向陽道林から望む新潟平野は平和である,
道林の両側の柱には
我此土安穏 天人常充満 十方諸国土 無刹不現身
と掲げられている。角田山は信仰の山でもあるのだ。法華教の如来寿量品の
我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰 因其心恋慕
乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫 常在霊鷲山 及余諸住処
衆生見劫尽 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満
からの出典である。そのうれしさ有り難さはなにものにも代え難い。人として生を受けること
ができ,そして仏法に出会えた幸運を思う。
2. 1月6日 曇り時々雨,最高気温10度,稲島コース
昨日からの雨のため雪もだいぶ解けた。枯れ木の多い山だが,杉,松,青木,クマザサ,羊歯
など緑だ。向陽道林横の山茶花が雪の中咲いている。日射しの中や木々の芽空気などにごく
わずかに春を感じる。あと1ヶ月もすれば雪割草も見られよう。自然にたいするデリケートな感
覚は日本人特有のものの様だ。
3. 1月13日 曇り時々雪,最高気温2度,稲島コース
ときどき吹雪き少し前方も見えにくくなる。ほほは凍りそうで動かなくなる手は凍傷になりそう。
でも雨よりましだ。やっと稲島登山口にたどりつく。かなりの自動車が駐車場にある。少し登る
と稲島神社がある。杉に雪がかかった中にひっそりとたたずんでいる。雪の森は深閑としたモノク
ロの世界だ。ときどき雪が舞う。そして晴れ渡ったときのキラキラ光のもと雪の世界の美しさ!
つくづく四季のゆたかな日本の自然の美しさありがたさ,を思う。
悲しいかな歌心のない私にはそれを歌えない。啄木の歌を
神のごと 遠く姿をあらわせる 阿寒の山の雪のあけぼの
4. 1月20日 曇り,最高気温5度,稲島コース
雪は世界を明るくする,
雪に傘,あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ
小池 光
頂上は30cm程度の積雪,それでも下山のとき頭から滑り落ちた人がいたと山小屋での話,
幸いたいした怪我はなかったとか。スパイク靴かアイゼンがないと下山のとき恐怖である。
5. 1月27日 曇り,最高気温4度,宮前コース
雪の宮前コースの景色を見たくて,危険箇所があるがこのコースにした。
下山で最初の道がが狭いうえ急で両端は急な崖である。さらに氷った上に積雪
である。アイゼンをつけロープを離さないように少しずつ降りる。夏は草木が茂り崖が
よく見えないし足場もよいのでそれほど危険ではないのだが。
見た目1ヶ月景色にたいした変化はないようだが木々は芽吹きの準備をしているだろう。
10月ころのこれから冬を迎えるという淋しさと違い,これから春と思うとなんとなく
浮き足立ってくる。日中も冬至のころと比べ随分長くなった。
6. 2月3日 曇り,最高気温5度,宮前コース
ふもとはもう春を思わせる木々。だが頂上はまだ深い雪。汗びっしょりになって小屋にたどり
着く。小屋では自然保護をめぐり口論が高じて怒鳴りあいになっていた。
自我と自我のぶつかり合い,自然保護はどこかに行ってしまった。
喧嘩から何か学べればいいが・・・業とはいえ,いかんともし難い人間のさが。
帰り道,雪の山には,狸の足跡らしきものががはっきりと。生き物たちのつつましさ。
坂村真民の誌から
冬の子は
冬の子らしく
冬を愛してゆこう
冬の雲 冬の花 冬の木 冬の鳥
すばるも冴えて
わたしの心もしまる
7. 2月24日 雪,最高気温3度,稲島コース
雪の山山は消えつつ雪ふれり 高屋窓秋
例年この時期になると雪割草が見られるのに今年はまだ雪の日が続く。
暴風雪注意報が出ている中,山に向かう。海辺では岸から300メートルくらい白い波
で泡立っている。頂上の山小屋に行くと4人ほどいたが,しばらくして出て行ってしまい,
一人になった。ストーヴの火も消えだんだん寒くなってくる。しかし春を待つ気持ちは希望
にあふれていていい。帰り10羽くらいの白鳥の群れがV字に飛ぶのをみた。シベリアへ
帰るのだろうか。お互い声かけあって飛んでゆく様子は妙に淋しさをさそう。
8. 3月16日 晴れ,最高気温13度,灯台コース,桜尾根コース
農作業も始まり,畑では雲雀がないていた。また春が訪れてきた。
昨年まで雪割草にはあまり関心なくて心とめて見たことなかった。小さいく目立つ花でなかったの
で。ところが,注意してみると実に可愛く可憐で微妙な美しさがある。それに雪が解けて初めて野
山に咲くということも一層印象を強くしているのかも知れない。「桜尾根コース」を下ったところ,
沢山の雪割草に出会った。色は白,ピンク,赤紫から紫のみで,黄色や赤など他の色は無い。
その印象を動物に喩えると猫の赤ちゃんというところか。ちかくにはもうカタクリの芽が出ていた。
いま山は本当に春が生まれているという感じだ。これからこうして何回春を迎えることができるの
だろうかと,これからの残された人生というものも考えてしまう,それほど歳とっているわけでない
のだが。学校を卒業する者,新しく社会へ旅立つ者,春はいろいろ考えさせられる。
9. 3月30日 曇り,最高気温13度,宮前コース
野には雲雀山には鶯鳴いて雪割草とカタクリの花がいっぱい。これからこころうきたつ一番美しい季節だ。
今日は登山者で満員。帰り宮前コースの途中三角点から左に折れ人通りの無い道に入る。
初めての道を歩く楽しさ。どんな風景に出会うか期待がいっぱい、そしてみごとな雪割草とカタクリ
の花の群落にであったときの喜び。
10. 4月6日 晴れ,最高気温16度,宮前コース
カタクリの生命は短い、やっと2週間前芽が出て、葉を開き、開花したかと思ったら、もう盛りをすぎしなび始めて
いる。落葉樹が葉をつける前は日光が地上まで十分そそぐ、その間いっぱいの太陽を浴びて、さっさと終わらせてしまう。
11. 4月13日 晴れ,最高気温13度,桜尾根コース、小浜コース
登りは桜尾根コース。期待していた桜は開花はまだで、緑のふえた草むらにカタクリの花がまだ咲い
ていた。寒気団が来ていて、午後冷たい小雨になる。帰りは初めて小浜コースを降りる。谷の向こう
には灯台コースが眺められて、狭い尾根のコースがいかにも危険そうに見える。
12. 4月20日 晴れ,最高気温16度,桜尾根コース、小浜コース
菜の花を求めて上堰潟へ。菜の花、おぼろ月夜、幼き日のおもいで。
桜はおわり菜の花が今を盛りと咲いている。ああこのような日もあったと
この世には忘れぬ春のおもかげよ朧月夜の花の光に 式子内親王
とおく角田山を望むと霞がかかったように桜でかすんでいる。
登山道には白い花びらが散っている、見上げると桜が満開。 桜尾根の桜が満開になった。
背後に日本海、
ウグイスや 谷からカジカの 鳴き声も
桜と新芽の道はゆめのようにうつくしい。
咲きのかぎり咲きたるさくらおのづからとどまりかねてゆらげるごとし 三ヶ島葭子
13. 4月27日 晴れ,最高気温17度,宮前コース
毎年の繰り返し:この時期イギリス音楽の優しい調べにのって一日を過ごす。
ディーリアスの「春初めてのカッコウを聞いて」エルガーの「夢の子供たち」ヴォーン・ウィリアムズの
「揚げひばり」などなど。風が強く山までは向かい風でで登山よりエネルギーを使った、
若葉の成長はいちじるしく3週間見ぬ間に景色は一変していた。
14. 5月4日 晴れ,最高気温25度,蛍の里福井コース
東から西へ弥彦街道に沿って角田山を眺める。裾野が広いのでその形も大きく変化する。
西側からの眺めは頂上が見えないので違う山のようだ。田んぼでは田植えが始まった。
幼い頃田舎のこの時期を思い出す、田んぼに沢山水がきて、牛に工具を引かせて土をかえす(たかきと言っていた)。
今でも東南アジアなどで映像を見かけると思う。それに稲を植えるのも人の手であった。その労力は
大変なものでそれが1週間も毎日つづくと想像を絶する疲労感だったと思う(子供は田植え自体はしなかった)。現代の
人には全く想像もできないだろう。そのため若くして腰が曲がったりしたのだ。この時期小学校は手伝いのため休みに
なった。田植えが終わると春の祭りがあった・・・藁葺きの家々のあった、むかしむかしのことだ。
15. 5月11日 曇り,最高気温16度,宮前コース
寒気団が来て肌寒い。新緑の森は木々の生むエネルギーにあふれている。1週間に一度のエネルギーの充填だ。
新しい花がどんどん咲き、春がどんどん過ぎてゆく。こんなときはどうしても:
風さそう 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん
浅野内匠頭長矩
16. 5月18日 晴れ,最高気温21度,灯台コース、小浜コース
灯台コース少し登った椿の群生しているところで、大きなムカデにあった。幼い頃友達の家のうらやまで
ムカデを踏みつけ、足が大きくふくれあがって大変な思い出があり、虫は嫌いでないのだが、ムカデだけ
はどうしてもだめだ。さらに少し行くと、咲き始めのハマナスに出会った。日本海からの海風をうけさわや
かで、啄木の歌を思い出す:
潮かをる北の浜辺の 砂山のかの浜薔薇よ 今年も咲けるや
漂泊の愁いを叙して成らざらし 草稿の字の 読みがたきかな
17. 5月18日 小雨,最高気温20度,宮前コース
小雨のなか長靴で傘をさして登山。山の2/3くらいから上はうっすらとガスにつつまれて、さすが登山者は少ない。
どこからかシベリウスのバイオリン協奏曲が聞こえてくる(ようだ)。
寂しい孤独感と詩情に包まれたなか、森のどこかから木霊の合唱も聞こえてくる。
こんな情景は晴れの日にはない、雨の日もいいものだ。
18. 6月1日 晴れ,最高気温25度,馬ノ髪山登山
加治川をはさんで焼峰山と対峙する標高757mの馬の髪山に登山。最初しばらくは沢沿いの
道を歩く。その後急な坂が続く天然杉の一本道である。ウグイスとホトトギスの鳴き声がときど
き聞こえる深い深い山の中である。頂上は360度のパノラマで遠く飯豊山が望まれた。
ほととぎすあすはあの山こえて行こう
わが路遠く山に入る山のみどりかな
分け入っても分け入っても青い山
分け入れば水音
山頭火
19. 6月15日 快晴,最高気温21度,宮前コース
行きに佐潟畔のハーブ園に寄る。
山は生き物たち木々の生命力であふれている。ホトトギスがぎごちない声でしきりと鳴い
ている。その鳴き声はいろいろととらえられているが、わたしには早口言葉
トッキョキョカキョク の様に聞こえるのだが。
夏山の木末の茂にホトトギス鳴き響むなる声の遥けさ 万葉集
20. 6月22日 曇り,最高気温29度,灯台コース、小浜コース
西日本では集中豪雨、こちらは蒸し暑い。汗びっしょり。寒さには弱いが暑いのは好きだ。
岩ユリを求めて灯台コースへ来た。たしか昨年は沢山咲いていたのに今年はほとんど見
あたらない。どうしたのか?年により違うのか?森ではブナの緑が輝く。
21. 6月28日 快晴,最高気温26度,宮前コース
頂上で昼寝する、右の2つの写真が寝ている目線からの写真。昼食後さわやかな
午睡を満喫する、20分程度。
村上春樹さんの読者からの質問「なぜマラソンするのか?」に「自分と向き合えるから」
という返事があったように思う。それと同じく登山する一つの目的に同じことがいえる。
不思議と深い山の中を長時間歩いていると自己との対面が出てきます。
世界一難しい本の一つ、道元の「正法眼蔵」から
自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり
・・・仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、
自己の身心および他己の身心をして脱落(とつらく)せしむるなり。・・・
難しいが繰り返し読んでいると韻の良さと何となく有り難くなってくる。
22. 7月13日 快晴,最高気温30度,宮前コース
2週間ぶりの角田山。登山口まで自転車はほんとに暑い。それから頂上まで
汗でびしょびしょになる。いま花は、ナツツバキ、ほたるぶくろやしもつけなど。
ナツツバキは高い木の上の方に咲き、すぐ散ってしまうのでなかなか
であうことは難しい。途中小さい白い花が地面に散らばっていて、見上
げると蜜蜂が群がっている。
仰ぎ見る 樹齢いくばくぞ 栃の花 杉田久女
23. 7月20日 曇り,最高気温30度,福井蛍の里コース
ヤマユリが咲き始めた、撮影しようとしたらバッテリーが切れてた。まだ来週咲いて
いるだろう。緑一色の深い森の中に純白の大きな花はすごく印象的だ。ユリの種
類も沢山あり赤い車ユリも咲いているが、なんといっても山ユリの美しさは圧倒的だ。
汗をかきかき登る、数学や1週間の下界娑婆のことなど思い出しながら、
登るが、そのうちすべて忘れただひたすら登るという状態になる、これがいい。
ことしはじめてヒグラシの鳴き声を聞いた。
ウグイスとホトトギス、ニイニイゼミと蜩などで森は賑やかだ。
世をいでて谷にすみける嬉しさは古巣にのこるうぐいすのこゑ 西行
24. 7月27日 曇り,最高気温32度,宮前コース
宮前コースの入り口と少し入ったところに山ユリが咲いている。
暑い日差しのなかあせびしょになりながら登山口にたどり着く、深い緑の中
純白の山ユリである。感激もひとしおである。茎はそれほど太くないのに
大きな花をつけているのでゆらゆらとこころもとない。付近一帯はさわやかな
くうきが漂う。どこからかシベリウスのヴァイオリンコンチェルトが聞こえてきそうだ。
25. 8月3日 晴れ,最高気温35度,灯台コース
あついあつい、しかも直射日光のあたる一番キツイコースだ。さすが、
こんな時このコースを登る者はいない。眼下では涼しそうな海で遊ぶ人々。
こんなとき、一番ぴったりの曲は意外や VERDI のオペラ IL TROVATORE (トロヴァトーレ)
これは情熱的で美しい曲の宝庫である。ただし、内容は狂気のひとこと。復讐にもえたロマの
女があやまって、我が子を火のなかに投げ入れてしまうなど、ひとりも冷静な人はいない。
血沸き肉躍る。音楽においては理想も理念もなくただ、人間の圧倒的な声の力。
26. 9月7日 雨,最高気温30度,稲島コース
朝には雷がなり、10時ころまで豪雨。小降りになってから出かける。
久しぶりに稲島コースから。稲島に入る前の布目に石仏がある。今
時の人はおそらくだれも注目も手入れもしないのだろう、やや荒れ
果てている。良寛さんもこの辺は歩いたであろう、五合庵は弥彦の
向こう側である:
雨の降る日はあはれなり良寛房
生涯身をたつるに懶く 騰々天真に任す
嚢中 三升の米 炉辺一束の薪
誰か問はむ迷悟の跡 何ぞ知らむ名利の塵
夜雨草庵の裡 双脚等閑に伸ぶ
27. 9月14日 晴れ,最高気温26度,宮前コース
この秋は高温の日が続く。いまだにツクツクボウシやミンミンゼミがないている。
登山道足下にミンミンゼミがばたばたとはねを震わせていた。さすがに頂上では
桜が紅葉始めていた。すべてを投げだし、ふらり漂泊の旅にでたくなる:
昭和14年頃の山頭火の9月14日の日記より:
心たいらか、行乞相も行乞所得も上上出来、善哉
ありがたい雨だった、草も木も人もよみがえった、畑仕事をする人が至る所に
見られた。欽明寺峠としては何でもないが何しろ長い、秋草、虫声が
よかった。萩の老木は口惜しいほど欲しかった。
夕雀、赤子の泣き声、犬の吠えるのも旅のあはれ。親切なおばあさん
、不親切なおじいさん。
今日の所得、銭40銭、米2升4合
28. 9月21日 小雨,最高気温24度,宮前コース
台風13号が金曜夜に関東沖を通過し、昨日は晴れ、今日は小雨。
田んぼはもう稲を刈り取った後の切り株だけになった。
登山口から少し入ったところに彼岸花が咲いていた。しずくの落ちる薄暗い
森を歩く。もう蝉の声はなく、小鳥と虫の声だけ。道の2/3くらいのところに
つりふね草とキツリフネの群落がある。蜂と蝶が群がっていた。
少しずつ秋が深まり、やがて冬へ。歳をとるにつれて1年が早くなった。
こうして山の記録を残すと余計に季節の変化が明確に意識されてくる。
月日のこまのはしり行くあしなみのいとはやく、
此のほどまではあつさ耐え難きばかりに、おぼへし
夏の日はいつの間にか過ぎさりて、もはやものさびしき
秋の気候とはなりにけらし。すだく虫の音聞くときは何となく
秋に夕暮れのさびしさを 感じらるる。霊下の園生の尾花の
穂について風にまにまに舞ひぬれば、うたふ虫に声に自然の
天楽は草も虫も同じくしらずしらず 歓喜光の恵みに自ら
はたらけるさまとやおもはるなるべし。(弁栄聖者)
29. 9月28日 曇り,最高気温19度,灯台コース
曇りながら空気は澄んで、佐渡がくっきりと見えた(*)。先週ついに朱鷺が自然放鳥
された。あのどこかに飛んでいるはずだ。登山道はススキが海風にそよいで。
松籟よ 波の音よ
夢にきこえよ。
しぐれる月よ、ちぎれ雲よ、島影よ
夢に通えよ、
朝霧よ、穂ススキよ
ああ、茗荷もしろう夢に咲けよ。 大木惇夫
(*) どう見ても水平線が曲がってみえますが、不思議ですね。何故でしょう?
30. 10月4日 小雨,最高気温21度,宮前コース
途中佐潟畔のハーブ園に寄る。ハーブは終わり、今コスモスがいっぱい。
湖畔には先週スズメバチが出て、さされて救急車で運ばれたというニュースが
あった。一部通行止めになっていた。山は紅葉の始まった木とまだ深緑のケヤキ
など。不思議な調和感がある。寒気団が通過したらしく、ときどき小雨がパラパラと
やってくる。森は薄暗いが、晴れ間もあり、そのとき紅葉輝く。
さびしさはいつともわかぬ山里に
尾花みだれて秋かぜぞふく 島崎藤村
31. 10月12日 晴れ,最高気温20度,蛍の里福井コース
福井コースへ。澄み渡った真っ青な空、弥彦街道をのんびりと自転車を漕ぐ。
道々道路わきの花をめでながら。
空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
谷川俊太郎
頂上では若い親子ずれが多く賑やかだった。うとうと昼寝の
顔の上にはススキと赤とんぼと青い空。
10 年後、100 年後、1000 年後、・・・10^n 年後の今日角田山の空は
どうなのだろう?人類はどうなのだろう?
32. 10月19日 晴れ,最高気温25度,湯の腰温泉コース
百人一首など和歌には秋の寂しさを歌ったものが多い。このきわめて
微妙な感じは日本人独特のもの、と教えられていたが、たいして心に
とまることもなかった。しかし外国人と交流するようになって、実に得難
い日本的情緒であるとわかってきた。ヨーロッパの人々、あるいは南の
人たちにはどうしてもわかってもらえない。日本人のこの繊細さは四季
豊かな国土で長い間生活してきた人々に培われてきたとても深い情で
ある。生活が便利になりその情緒がだんだん薄くなっていってしまわな
いだろうか?
・・・晩秋の夕方、雁がVの字に鳴き交わしながら飛んでゆく・・・
もうこれだけでも何ともいえない(語りきれなく深い)しみじみとした情の
世界にはいる。こんな情があったからといって学問・技術の世界で役立
つことはない。しかしそういうものとは比較を絶しているこころの大事な
宝である。
33. 10月26日 小雨,最高気温20度,宮前コース
頂上付近は紅葉の見頃だが、今日の低気圧の強風で葉が無くなって
しまうだろう。小屋には数名いたがやがて出て行き2人だけになった。
環境保護を長年やってきた方だ。年に250回くらい角田に登るという。
登山道以外に入らないように、野草を採らないように、スキーのストックは
杖代わりに使わないように・・・といろいろ言っていた。どれも山を荒らす
事になるのだ。
34. 11月2日 小雨,最高気温20度,宮前コース
先週の写真とほぼ同じなので写真は省略。冷たい雨がパラパラとやってくる、が
ときどき明るい日の光がさし、紅葉黄葉が映える。最後の輝きはまるで、
白鳥の最期の歌のようだ。
秋の歌というと良寛さんの歌にもいいものが沢山ある。良寛さんのいおり
五合庵はこの山の向こうの弥彦山の向こうである。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ
紅葉(もみじ)ばの 降りに降りしく 宿なれば 訪ひ来む人も 道まどふらし
夕されば 虫の音ききに 来ませ君 秋野の野らと 名のるわが宿
35. 11月9日 小雨,最高気温15度,灯台コース、OBAMA(小浜)コース
紅葉・黄葉もそろそろ終わり、登山道は落ち葉が降り積もっている。
かさかさと歩くたびに心地よい音が帰ってくる。
シモーヌ、木の葉の散った森へ行かう
落ち葉は苔と石と小径を被うてゐる。
シモーヌ、お前はすきか、落ち葉踏む足音を?
落ち葉の色はやさしく、姿はさびしい、
落ち葉ははかなく捨てられて、土の上にゐる!
シモーヌ、お前は好きか、落ち葉ふむ足音を?
グールモン作
36. 11月16日 小雨,最高気温15度,宮前コース
今年は紅葉・黄葉がことのほかきれいなようだ。それともこちらの見る目が
これまでと変わったのか? ぬれた落ち葉が歩くたび湿っぽい音をたてる。
落ち葉はおのれの役目を果たして散った、いやまだ、これから土になり木や草の
栄養となる、あるいはミミズの栄養となる。葉っぱとして木にあるときは、酸素を
供給し、あるいは虫のえさとなり存在の役目を果たしてきた。この地上一つとし
て無駄なものはないという・・・(そこまで絶対肯定できるか)
ではわたしの存在意義は何なのか?
時雨の角田山はきもちを内面に向かわせる。
37. 11月24日 小雨,最高気温10度,宮前コース
この一週間でこの通り裸の木々になってしまった。これからは
常緑樹の元気な季節だ。向陽道林横には山茶花が満開であった。
昨日N先生のお別れ会に行ってきた。研究者としてはもちろん教育者
としても非常に優れた先生であった。その思い出が登山中もめぐって
離れなかった。いろいろな思い出はこのページいっぱい書いても書き
きれないくらいある。あれだけ研究教育で深く大きい存在感のある
先生はもう出ないかも知れない。
38. 11月30日 小雨,最高気温7度,宮前コース
強風と雪まじりの小雨。頂上手前に張ってあった命綱が切り取られていた。
誰が何のために?長い間その綱のためにどれだけ助かったかわからない。
ないと非常に危険です、切り取った人、すぐ元通りにして下さい。下山時が
特に注意が必要、滑落しないように、這いつくばって降りた。
この時期になると、音楽はチャイコフスキーの交響曲、特に1番と4番。
冬晴れの日は1番、悪天候の日は4番。そしていつもは6番。
指揮はムラヴィンスキーでレーニイグラードフィル。(1番はムラヴィンスキー
の録音はない、そこで例えばフェドセーエフなど。)交響曲は大河小説
を読むようなところもあるが、何回聴いても飽きないし、新たな感動もある。
39. 12月7日 小雪,最高気温5度,稲島コース
山は本格的雪になった。ちょっとスゴイ人2人。
その1.この吹雪の中、上半身Tシャツ一枚しかもそれほど若くない人。
体脂肪が少なすぎ、血圧が異常に低く、寒がりの私は厚手のコートの下にはセーター
まで着込んでいる。なんともうらやましいことである。
その2.登るとき下山の人に会い、今度は下山のとき、その同じ人にあった。
ちょっと立ち止まって話しを聞いたら、今日は4往復するのだという。こちらは若者。
体力作りをしている、最初は2往復だったが、だんだんふやしたとか。週何回もやって
いるとか、これには驚いた。
40. 12月14日 小雨,最高気温7度,灯台、桜尾根コース
11月30日の話の後日談:思い込みによる判断の危険性。十分に情報を採り入れない
で判断することは危険である。実は、11月30日、ロープが切られたのはいたずらと
思い込んでいた。ところが、あのコースは人気があり自然破壊進んでいるので
故意にロープを切ったというのだ。進入禁止というほどではないが、ロープにたよらな
ければ登れない人には遠慮していただく、ということらしいのだ。思い込み、あるいは
誤った情報をもとに恐ろしいことが実行されたのは、アメリカによるイラク侵攻がいい
例である・・・ほんとうは、侵攻すべしが先にあってそのための情報が作られたのかな。
これはもっとも危険。
下山時にみぞれになった。ぬかるんだ道を折りたたみ傘をさして降りた。